縄酔いの宴

SとMの成り立ち

SはサービスのSだとか、

Mは満足のMだとか。

Sはslave

Mはmaster

なのだとか。

 

SMにおけるSとMの逆転支配関係は、

よく言われてますね。

支配する側がいつの間にか支配されている。Sがいつの間にか、Mの支配に絡め取られていく。

 

実際は一方的な支配従属ではなく、

主導権はふとした瞬間に移動する。

 

 

恋愛の駆け引きと同じ。

 

 

Mの奥底には、強いS性が眠っている。

同じようにS性として表れているものの裏側には、M性が隠れている。

SとMは鏡のようなもので、

自分の奥底に秘めている姿を相手に投影しているように思います。

 

陵辱したい、辱めたいと思うのは、本来は男性的な性衝動、つまりは支配欲と暴力衝動です。

S性とは、男性性だとも捉えられます。

男性の性欲がそのままS性と結びついている。

Mは従属性、受け入れるのが喜びとなります。それは女性性ですね。

従うことで支配するというのは、

女性らしい受動的なやり方。

力では支配できない分、従順になることで、Sを依存させる。

自分なしでは生きていけなくさせる。

そういう観点からいうと、SMはアブノーマルではない。

ただ性が極まった形に思えます。

 

何が人をS性に駆り立てるか。

何が人をMに目覚めさせるのか。

いろいろな説があるようですが。

 

普段ストレスを感じることで、心の底に溜まる攻撃心、責めたい気持ちが自分に向くか他人に向くかの違いなのではないでしょうか。

 

 

Sは責めたい気持ち、暴力衝動を、Mに受け入れてもらうことで許される。

Mは責められることで、抱えている罪悪感を許される。

罪悪感を抱えやすいタイプはMになるらしいです。
どちらかというと鬱的思考パターンが多い私も、例外なくMです。

 

 

SMがセラピーと呼ばれるのは、

他者からの許しが得られるからではないかなあと、

最近よく感じます。

 

罪の意識

心の傷の癒し

欲望の肯定

 

贖罪。

 

人を苦しめるのが快感なのか。

自分を苦しめるのが快感なのか。

征服感に酔うのか。
被虐される自分に酔うのか。

違いはありますが、

 

根源的な欲求は同じ。

許されたい気持ち。

SとMは表裏一体。

相互補完関係。

 

異常でもなんでもなく、

精神を正常に保つための防衛反応だと思う。

Sなんて特に技術職みたいなものだから、努力してプレイとして昇華するなんて、

セクシーで切なくて、いじらしくて、

なんだか愛しい。

 

 

いがみ合っているのに別れられない、

不健全な夫婦関係よりはずっと、

 

人間らしいような気がする。

 

 

SMプレイは、

アドリブで心理劇を演じているようなものですね。SとMの掛け合いで成り立つ即興劇。

 

 

人は皆役者

 

 

 女優見習いのMより