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縄酔いの宴

なぜ縄なのか

どうして縄が好きなのでしょうか。

みんなそれぞれ理由があるのだと思うけど、私の場合、単純です。

縛られて、縄に入ってしまったから。

 

それは生まれてはじめての感覚でした。

SMバーではじめて縛りを見たとき、縄に入る女の子の表情に、驚きました。

そのときはただ自己陶酔による恍惚の表情なのだと思いましたが、実際縛られたときの感覚は、もっと甘美なものでした。

強く抱きしめられたようで、大切に扱われているようで、

とても幸せだったのです。

それは幸福感による陶酔なのでした。

 

それまでは特に、縄に対して憧れは強くありませんでした。

M性は自覚していましたが、それが縄と結びつくとは思ってもみませんでした。

 

単純な肉体的な快楽があることももちろんですが、

縄に入ることで、自分を解放している。

他人と繋がったような感覚がある。

他人の脳とシンクロすることで、

普段抱えていた寂しさが癒されたのです。

縄に入った後には、とても深い充足感がありました。縛られることで、普段抑えている自分を表現しているような気になったのです。

 

今は他人との繋がりが希薄な時代です。

だんだんと人は自分の殻に閉じこもりがちになる。

誰もが心の底に、人知れず寂しさを抱えています。 

繋がりたいのに繋がれない。

自己愛が傷つきやすくなっています。

今はネットやスマホでいつでも連絡はとれますが、本当の意味で人と繋がれなくなっているように思います。

縄は人と人を繋ぐ道具になり得ます。

不思議な魔力がありますね。

 

 

 

縄で気持ちを伝える。

そこには日本人らしき情感があるように思います。

侘び寂び、

もののあはれ 

儚い情緒

いい縛りには、日本古来の美徳が表現されます。

私はそこに、現代人が

失いつつある人間らしさを感じとりました。

セックスはそのうち性処理ロボットが開発されるようになるでしょう。

 縄はロボットじゃできない。

縄に気持ちや情、念のようなものをこめられるのは、人だけです。

情を交わせるのは、人間同士だけ。 

 

 

縛りには信頼関係が何よりも大切だと言います。

受け手は縛り手に、完全に身をまかせます。委ねます。

命さえも縛り手に差し出している。

それゆえに、縛りには何ものにも代えがたいエロスがあるのでしょう。

そこには私が求めてる男女関係の理想があるように感じます。

 

でも、現実は難しい。

縄のパートナーシップも、そうそう綺麗事ばかりではないようです。

 

人と人との信頼関係がいかに困難なのか、

脆く儚いものなのか、

思い知らされます。

 

縛りによって生まれた一体感は、

ただの幻想なのでしょうか?

一時の夢なのでしょうか?

 

それならそれで、いい夢をみたいですね。

 

一期は夢よ、ただ狂え

そう言った人もいますから…

 

夢みがちなMより