縄酔いの宴

縄酔いの美学

縄に入る、という言い方がありますが、縄に酔う、と表現されることもあります。

双方に明確な区別はなく、なんとなくこんな感じなんだろうな、と、各々がふわっとした感覚で定義をしているようです。

私はこの二つの現象を少し異なるものとして捉えています。

それは私が自分なりに感じたことにすぎないのですが、せっかくなのでまとめてみます。これが正しいわけじゃないです。

あくまで私の感じ方にすぎません。

 

縄に入るとはある種の催眠状態、トランス状態で、縛りの空気に身を浸すことと言えます。

内側に向くことで、普段より意識レベルが下がります。脳がぼんやりしてきて、なんかもう、どうでもよくなっちゃう。

縄に入ったときの私の顔は、まるでとろけたようになっているらしいです。 

それを見てみたいのですが、自分では見られません。鏡の前で再現しようとしましたが、あほくさくて笑ってしまいました。

縄に酔うとは、より縄に敏感になった状態で、縄に翻弄され、普段ならありえないようなあられもない痴態になることです。要するにあへあへ言い出します。

縄に入ることで縄をより感じやすくなり、次第に酔いが回ってくる。お酒と一緒です。やはり脳内化学物質の影響でしょうから、大麻やドラッグをきめている時と近いのかもしれません。

やったことないから分かんないけどね!

意識が途切れ途切れになりながら、縄の責め苦に、責められている自分に興奮をして、乱れ酔う。

被虐に羞恥に、責めに感じ、淫らに狂う。

まるで縄に操られているように…

喘ぎ、呻き、哀れに咽び泣く…

歓喜のあまり、笑いたくなってしまうこともあります。

酔っ払いの気持ちは分からない。

酔うとは、縄から受けた責めに対する応えでもあります。

 

意外と酔うのは、難しいんです。

入るのはある程度習慣化しますが、

酔うとなると、もう少し、縛りが深まらないといけない。

第一、縛り手と受け手がシンクロしてないと、うまく酔わない。

縛り手の技術だけではなく、

その時の体調、縛り手との関係性、互いに抱いている感情、場所、人目があるかどうか…縄自体の頻度、最近いつしたのか、

そのような細かいコンディションが整わないと、いい縛りにはならないように思います。

言うなればセックスも同じようなものですけれども…

縛りとはデリケートですね。

中途半端に入って、うまく酔えなかった時は、安い合成酒を飲んだときのように、悪酔いしてただ脳が不快に濁る。

なんか難しいことを言っているようですが、受け手も人間なので、

いつ何時でも縄を受けられ、同じように感じまくり入りまくり酔いまくりとはいきません。

同じ縛り手さんとしても、縛り手さんの調子もあるし、私の調子もあるし、あまりいい縛りが出来ないときも、ざらにあります。技術だけではありません。

受け手に対して失礼な態度を取る縛り手の縄や、たまたまその直前のコミュニケーションですれ違いやわだかまりがあった場合も、なかなか素直に入れません。心理的な抵抗をしてしまいます。

 

私は入りやすい方だと縄仲間さんの中では認識されてます。

逆に入らないと縛り手はショックを受けるのかもしれませんが、縄酔いロボットではないし、

まだ経験も浅いので…

それに、誰でもいいわけじゃないの!

その日のメンタル状態にも左右されるし、

そもそも体に不調があったら、当たり前ですが気になって入りません。

もちろん明らかな痛みがあったり、間違った縄をかけられたら、危機感を感じて頭が冴えてしまいます。

繊細なんです、人間だもの…

それだけに、魂のこもった素晴らしい縛りが出来た時は、無上の喜びを感じます。

それには結局は相性が大事。

関係性が大事。信頼関係が大事。

技術偏重主義に陥りがちな縛り手の皆さん、受け手は練習台じゃないですよ。

きちんと受け手さんと、信頼関係を築く努力からはじめましょう。

それも会心の一縛のため!

 

一番嬉しいのは、支配したい責めたいという気持ち、美しくしたい、気持ちよくしたい、という愛情がこもっている縄です。

気持ちは必ず伝わります。

縄は本来、情が深いのです。

人を縛るのですから。もしかしたら心までも…

愛されていたら、なんでも嬉しいんだと思います。

結局はそこか。信頼関係とは、愛の本質。

そんな縛りがしてみたい。

 

わがままMより